武蔵小杉 賃貸の情報掲載
国内のY信託銀行、Yビジネス・サービス、海外の二十八社を含めた連結決算ベースの負債総額は九七年三月末現在で六兆七千億円(本体は兆一千億円)。
勿論戦後の金融市場最大のものである。
証券業は大蔵省の認可業種である。
このため新たに業務を始める場合だけでなく、自ら廃業するときにも自由にはできず、大蔵大臣の許可がいる。
証券取引法第三十四条に廃業の規定がある。
顧客から預かっている有価証券などの資産をすべて返還できることが許可の条件となる。
したがってY証券が自主廃業を申し出ても、証券取引等監視委員会が調査し、確実に預かり資産を返還できる見込みあると判断して初めて、自主廃業の許可が下りることになる(図表7)。
このような財務内容の悪化を受け、米格付け会社のムーディーズは十一月に入って「投資適格」の最低ラインになっていた社債の格付けを引き下げる方向で見直すと発表。
これがきっかけとなり株価の下落に拍車がかかり、日本の金融市場自体の信用不安の高まりも相まって、金融市場からの資金調達に支障をきたすようになっていったのである(図表8)。
ため一千五百億円の特別損失を計上し、最終損益は一千六百四十七億円の赤字になった。
九八年三月期も市況の低迷、外国証券や銀行の証券子会社との競争激化に加え、総会屋への利益供与事件で九七年八月に三木淳夫前社長が逮捕され、既存の取引先からの発注停止が相次いだ。
またその総会屋利益供与事件は、早期是正措置を控え融資の選別を急ぐ銀行に格好の口実を与えたことになり、急激にクレジットライン(信用供与)の削減を迫られYの最大の強みは伝統的に法人営業であった。
しかしその〃武器〃は新しい資金調達方法の提案などの「商品企画力」ではなく、企業の財務担当幹部などとの人間関係が中心であった。
その「法人のY」は九一年の損失補填事件のあと、法人営業部門の人員を大量に入れ替えた。
これを機に、かつての収益源であった法人営業部門は極端に戦力が低下、また一方、個人営業部門の強化やリストラも後手に回り、九六年後半からブームとなった外債販売で出遅れる一方、預かり資産残高に応じて安定した収入が見込める投資信託の販売でも大手他社に水をあけられた。
収入は激減し、リストラも追いついていかなかった。
そのような状況のなかで、色槌せた「法人の山この看板を守らんとする余り、必要以上に大口顧客の〃面倒を見〃、一方では総会屋への利益供与を行ない、損失補填や簿外債務(企業の債務のうち、貸借対照表上に記載されないものを指す。
担保が十分でない子会社、取引先などが金融機関から資金を借り入れる際、信用力の高い企業が保証を付ける場合が一般的。
リスクを投資家などに示すため、貸借対照表の欄外に注記することが多い。
証券会社が取引先企業の株式評価損などを表面化させない目的で、ほかの企業に一定の利回りを保証して、一時的に株式を移転させる「飛ばし」も簿外債務の一種とされる)のもとになるような「利回りを実質的に保証した資金運用」を増加させていった。
こうしてYは、八○年代後半からの〃財テク〃戦略のなかで、企業に運用資金を預けてもらう際には一○%程度の利回りを「約束」するようになる。
運用に失敗した場合には企業が決算期を迎える前に、決算期が異なる別の企業に「市場よりも高い価格」で買ってもらうことで、損失が決算で確定するのを防いできた。
株価低迷のため、このような含み損を抱えた有価証券を顧客の企業間で転売する「飛ばし」がくり返され、転売価格と市場価格の差が急速に広がっていった。
最終的には新たな「飛ばし先」を見つけることもできなくなり、巨額の含み損だけが残る結果となった。
このためYは、飛ばしの受けUとして、連結決算の対象とならない国内外の子会社・孫会社五社前後を利用することを計画、九○年代初めには税制上の優遇措置が受けられるタックスヘイブン(租税回避地)の一つ、ケイマン諸島にペーパーカンパニーを設立し、簿外債務を計上するに至った。
十一月二十四日、自主廃業を申請した時点で、発表された簿外債務総額は二千六百四十八億円。
しかし総資産が兆六千億円にものぼる巨大証券のしかし簿外債務が大きく膨らんだり、資産のなかに帳簿価格を大きく下回る債務超過状態のものがあったりすれば、大蔵省は自主廃業申請を認可できない。
日銀にしても、返済の可能性の低い資金は特別融資できないことになっているため、別の処理策を講じる必要される。
解体には少なくとも一年半はかかることから、その解体過程で、「飛ばし」による簿外債務が膨らむのは確実な状況である。
この簿外債務の大きさが問題になるのは、これが自主廃業申請という処理策が成り立つかどうかのカギを握っているからである。
仮に薄外債務が二千億円にとどまれば、株主資本(九月中間期末で四千三百十四億円)との差額の一千百億円だけ資産は負債を上回る。
負債は順調に返済される見込みになり、廃業しても顧客・債権者などには損失が及ばない。
日銀もYの固定資産などが換金できるまでは一時的に特別融資をしても、いずれは返済、十一月二十四日の自主廃業申請時点では「損失補填」「(有価証券報告書の)虚偽「特別背任」「違法配当」の疑いは消えず、調査結果次第では自主廃業申請は認められず、証券免許取り消しや業務停止命令が下される可能性は残ったのである。
いずれにしても、百年の歴史を誇り、一九六五年の証券不況をも乗り切り、これまで日本の四大証券の一つに数えられてきたY証券は、「飛ばし」に消えたのである。
今回のY証券経営破綻に対する日本の金融当局のスタンスは、十一月一十二日午前の「市場が無理な経営をとがめる形で動いてくれるのは、ビッグバンをやりたいと思っている人間としては望ましい」との長野証券局長の記者会見での発言に如実に表れている。
つまり今回のY証券経営破綻における大きなポイントとなったのは、「企業による情報開示の内容を市場が疑い、市場が存続を許さなかった」ことであり、金融当局がそれを是認したことである。
これは、「金融当局が救済スキームをひねり出し、経営危機を回避する」といった既存の手法とはまったく異なる。
結局、ビッグバンを迎える日本の金融界は「金融機関の存続は市場が決定」し、「金融当局は預金者や取引先の保護に全力を尽くす」時代の到来を受け入れたのである。
したがって金融機関は、自助努力で生き残りを目指さなければならない。
つまり当局がいかに支援しようとも、市場が〃ノー〃と言えば生き残れない〃厳しく冷徹な市場選別時代〃を迎えることになったのである。
しかし今回の〃ブラックノベンバー〃に関しては日本の金融当局にも大きな責任がある。
表面的には長年の(弱者保護のための)護送船団方式と敢然と決別して、日本版ビッグバンを標梼し、グローバル時代にふさわしい「透明な行政」に転じる姿勢は垣間見えた。
現に今回の一連の経営破綻は最終的には市場の判断に委ねたからである。
しかしそこに至るまでのプロまたYの場合、二千六百億円を超す簿外債務の存在は数年前から金融界では半ば常識化していた。
この間、当局の調査・考査でこの債務の存在を本当に確認できなかったのか、大きな疑問が残る。
この問題に関して深刻なのは不良債権の飛ばしが、Yだけでなくほかの大手金融機関についても公然と語られてきた点が如実に示した。
結局は、多少事情は異なるが、情報開示が遅れ、国際的な批判を浴びたD銀行ニューョーク支店での巨額損失事件の〃日本国内版〃であった。
一連の破綻ののち、公的資金導入論が高まった。
しかし公的資金導入は、危機の拡大を防ぐ流動性供給にとどめるべきであろう。
言葉を換えれば、徹底した情報開示と責任の明確化を進め、「行政と金融機関の透明な関係」を築き直さない限り、日本の金融界に〃明日はない〃。
この病巣を一気に除去する財源を持たない金融機関は、廃業を前提とした流動性供給にとどめるべきである、ということである。
今後は企業による情報開示の内容を市場が疑い、市場が存続を許さなくなる。
したがって各金融機関は、その存続をかけて正確な情報を開示しなければならないのである。
Yは「日本の証券大手四社の一角」というメンツに最後までこだわり、傷口を広げた。
大蔵省は今回の一連の経営破綻で、信用不安回避などを重視し過ぎて不正取引の発覚や処分を遅らすといった従来のパターンから完全に脱却、過去の護送船団方式が残したツケをきれいに清算して見せた。
要するに金融機関が経営に失敗しても、これからは誰も助ないことを証明して見せたのである。
このスタンスはときを同じくして開催されていたアジア太平洋経済協力会議(APE)の九七年十一月の〃ブラックノベンバー〃が残した教訓は次のようなものである。
持たない(自己責任論)」とした発言からも確認できる。
つまり、世界に向けて「護送船団方式はやめる」と明言したのである。
日本の金融機関は今後、このような日本当局の日本版ビッグバンの本格的実施を目前にした豹変を、真剣に受けとめなければならない。
担当者がいる。
言ってみれば各金融機関の「対大蔵省御用聞き」である。
言い方を換えれば「対大蔵省接待係」である。
しかしこれは、各金融機関にとっては極めて重要なポジションである。
担当者は大蔵省の関係者に向け盆暮れの付け届けは勿論、接待も日常茶飯にくり返す。
理由は至って簡単である。
大蔵省検査が「いつ」「どこに」「どのような点を重点的に」行なわれるかを匂わしてもらうためである。
そして検査が〃無事に〃終了すれば、大掛かりな〃打ち上げ〃が開催される。
言ってみれば見事なまでの純日本的な馴れ合いメカニズムである。
今回の一連の経営破綻のなかで、そのような大蔵省の検査体制がやり玉に上がっている。
Yの場合、免許を受けた会社が「飛ばし」という〃違法行為〃を頻繁にくり返していたのにまったく気が付かなかったと言うが、実態は「気が付かない〃ふり〃をしていた」のである。
D銀行による総会屋への多額融資が表面化した際も大蔵省は責任を問われたが、「事前に情報があれば重点的に調べ、発見していた。
膨大な書類のなかから問題点を発見しろと言われても、物理的に無理だ」などといった、〃弁明にならない弁明〃をくり返していた。
しかしその後、検査官がD銀側のもてなしを受けていたことが発覚、大きな問題となった。
金融当局のチェック体制がこのようなずさんなスタンスにあることは世界の市場が熟知しており、「日本の金融メカニズムが根底的に信用されない」大きな理由の一つとなっている。
そしてこのような体制にあることは日本経済ばかりでなく、世界経済にとっても大きなリスクであることを認識しなければならない。
今後も米国を中心とした世界の先進国から、要求があるのは間違いない。
世界の金融先進国であろうとするのであれば即刻、敢然と姿勢を正さなければならない。
一九九八年四月から早期是正措置が実施される。
その意味は、護送船団方式を完全に廃止した大蔵省が、経営不安のある金融機関に対して合併や救済策をとらずに、決算の数字が悪ければ自動的に倒産させることを言明したものである。
一九九七年に入ってからの大蔵省の対応は、全体的に冷めたものとなっている。
バブル崩壊後の金融政策の責任を集中攻撃された格好の大蔵省は、「外為法改正」「早期是正措置」といった政策を推進してきた。
それは、最終的には大蔵省自体が今後の展開について一九九一年七月に第一回目の公定歩合引き下げが行なわれてから六年、そして公定歩合が○・五%と定められた一九九五年四月からは二年が経過した。
○・五%になってからの二年間で、預金などの利子の目減りは七兆九千億円に達している。
一方、その間、金融機関は約四兆四千億円の恩恵を受けている。
しかしそれもまったくの焼け石に水であった。
バブル崩壊による銀行システムに対するダメージが余りにも大きすぎたからである。
結局日本の銀行は、不良債権が新たな不良債権を生み出すといった悪循環に陥ってしまった。
不良債権処理を先送りすることで逆に負担が増してきたのである。
大手都市銀行に関して言えば、期間損益を計算するにあたり、一九九七会計年度に損金として計上された引当金は合計して約三十兆円。
仮に不良債権の六割が損失額とすると、三十兆円分の償却は五十兆円分の不良債権処理に相当する計算になる。
バブル崩壊後の一九九三年に公表された大手都市銀行の不良債権額は約一十一兆円であった。
しかし一九九七会計年度での不良債権の総額は百五十兆円と推定され、一九九七会計年度には一九九三会計年度に推定された不良債権の一倍以上を処理するに至っている。
こうしたことは、これまでに不良債権に関してきちんとした査定をしてこなかった証左であり、日本の金融機関の不良債権処理はヤマを越えたどころか、せいぜい三合目あたりというところが実態なのである。
こうした事態をもたらした大きな原因は、不良債権処理に「時間をかけすぎた」ことである。
例えば住専処理に関しても、これを一九九一年末に行なっていれば損失は多くて三兆円で済んだはずであった。
しかし実際に処理が行なわれた一九九六会計年度では、一次損失だけで七兆円以上に膨らんでしまっている。
不良債権の規模自体に変化はないにもかかわらず、それに替わる損失額は年々拡大していく。
それは担保になっている不動産の価格が下がり続けているからである。
日本国憲法第二十九条は「財産権はこれを侵してはならない」と定める。
もともとこの十九条を含む新憲法制定にあたり、GHQ(連合国軍総司令部)の提案では「土地及一切ノ天然資源ノ究極的所有権ハ人民ノ集団的代表者トシテノ国家一帰属ス」(マッカーサー草案二十八条)となっていた。
しかしこの提案を断固拒否した時点から日本は「私権」を野放図に認め、以後の日本は完全に「土地本位制」を敷くことになる。
この土地本位制が頂点に達するのは一九八五年のプラザ合意以降の超円高時代である。
ピーク時の評価額が一千四百兆円。
評価額の膨張は国内総生産の四分の三にあたる約百兆円。
この異常に膨れ上がった土地価格をベースにして銀行貸出しが行なわれたのがいわゆるバブル時代なのである。
セスでは、明らかに相変わらずの「裁量行政」をともなっていた。
例えばT銀の場合においては、T銀が実質的な債務超過であることを知りながら、合併交渉をあと押ししたフシがある。
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